竹田城跡 (日本のマチュピチュ)  兵庫県     

慶長5年(1600年)、竹田城最後の城主の赤松広秀は関ケ原の戦で西軍に味方し丹後・田辺城を攻めたが、西軍が敗れたため、東軍に鞍替えし、鳥取城攻めに参加する。
城攻め中に城下に火を放ったとの罪で徳川家康から切腹を命じられ自刃。その後竹田城は廃城となりました。 
 
平成18年に「日本名城100選」に選ばれました 
竹田城所在 兵庫県朝来市和田山町竹田古城山169番地 電話 079−672−4003(朝来市役所観光交流課)
*カーナビでの検索の場合は、竹田小学校(TEL 079−674−2644)で検索。学校周辺まで行けば案内看板あり
 
2012年6月12日訪問時での情報 
 ・24時間無料で入山可能。駐車場 50台程度(無料) 但し、12月下旬あたりから2月まで積雪あり
2019年3月11日より、観覧料 大人500円(自動券売機 )と有料となり、入山規制も実施されているようです
本丸から見た北千畳 本丸から見た南千畳
駐車場からこの山門をくぐって竹田城へ向かいます 駐車場から大手門までの距離は0.8km。徒歩で約15分ほど
大手門から望む 大手門跡 三の丸から見た大手門前
城跡より東方向を望む 北千畳を望む
本丸より南千畳を望む  本丸入口石段
一番高いところにある天守跡
南千畳より天守跡を望む 二の丸より天守跡を望む
南二の丸から見た本丸の石段 北千畳から見た本丸跡 見事な石垣
スケッチする家内 二の丸から見た本丸跡  本丸跡から見た南二の丸
竹田城跡から見た播但連絡道路 南二の丸から見た本丸跡 南二の丸の石垣