お湯の記録と評価 静岡県
松崎温泉 伊豆まつざき荘2
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所在 静岡県賀茂郡松崎町江奈210ー1。 まつざき荘は松崎町が運営する町営の宿泊施設(国民宿舎)です。 今回は早朝に山梨県富士吉田市にある新倉富士浅間神社を訪れ、それから静岡県三島市にある竹倉温泉・みなくち荘での日帰り入浴を堪能し松崎温泉へと向かいました。 まつざき荘は2016年に訪れており、2度目の宿泊です。オーシャンビューの5階、喫煙可の和室の部屋。前回はツインの洋室、オーシャンビュー、禁煙の部屋でした。 まつざき荘の温泉利用は14:00〜翌朝9:00までの利用。夜中も掛け流しの温泉を楽しむことができます。 温泉の利用は公共の宿とは思えないほど見事です。 源泉温度が高いため加水はしていますが内湯、露天風呂とも掛け流しされており、内湯の湯船は2つに区切られ、熱湯とぬる湯とからなっています。毎日、湯を抜き清掃して湯を入れ替えています。 家族風呂(16:00〜22:00 予約制 45分1,100円)もありますが、前回に続き今回も利用はしませんでした。 今回はコロナウイルス対策のためチェックイン後の従業員の入室を控え、布団敷きは客自身が行いました。 夕食は今回、宿の標準のものにしたため、少し物足りなさを感じました。(食事内容はmariのブログにて掲載しています) なまこ壁、鏝絵(こてえ)で有名な松崎の古い街並みを散策したり、岩科学校(重要文化財)の見学などを行いました。 松崎温泉への道すがら、土肥桜を見ましたが、早咲きの桜も咲き始めていました。 |
男性浴室と湯船 | 左湯船・ぬる湯:右湯船・熱湯 | 男性浴室と湯船 |
男性浴室と湯船 |
男性露天風呂 |
女性浴室と湯船 |
女性浴室と湯船 |
女性露天風呂 |
宿泊した海側和室・507号 |
部屋から撮影した景色と夕陽 |
部屋から撮影した夕陽 |
新倉富士浅間神社 |
山梨県富士吉田市浅間2丁目4ー1 新倉富士浅間神社(あらくらふじせんげんじんじゃ) |
新倉富士浅間神社 398段の階段を登った所にある五重塔の忠霊塔 | 人気スポットの桜満開時期の写真 |
松崎温泉へ向かう途中、土肥温泉付近で撮影した富士山 |
岩科学校 |
所在 静岡県賀茂郡松崎町岩科北側442 電話番号 0558ー42ー2675 開館時間 9:00〜17:00 年中無休 入場料 300円 | ||
明治13年9月に完成した木造2階建ての寄棟造りの小学校。「岩科学校」建物は左右対称、外観は「なまこ壁」(重要文化財) |
重要文化財岩科学校は、なまこ壁をいかした寺社風建築様式とバルコニーなど洋風を取り入れた伊豆地区最古の小学校 |
日本では甲府の旧睦沢学校(明治8年)、松本の旧開智学校(明治9年)などに次ぐ古い小学校。明治12年当時、松崎では村内の教育振興熱が高く、校舎新築のための寄付金が集められました。「総建築費2,630円66銭 内寄付金4割余」 |
玄関内部 | 教室の再現 | 校長室 | 長野県松本市の開智小学校・姉妹校 |
鶴の間 | 幕末に活躍した漆喰鏝絵(しっくいこてえ)名人の入江長八の作品の展示 |
入江長八とはどんな人物 |
文化12年(1815年)、伊豆国松崎村明地(現在の静岡県賀茂郡松崎町)に貧しい農家の長男として生まれ、6歳で菩提寺の浄感寺塾に学ぶ。11歳の時、同村の左官棟梁、関仁助のもとに弟子入り、その当時から手先の器用さで知られた。 天保4年(1833年)20歳の時、江戸へ出て御用絵師である谷文晁の高弟、狩野派の喜多武清から絵を学ぶ一方、彫刻も学んだ。絵画や彫刻技法を漆喰細工に応用し、従来は建物の外観を装飾する目的の漆喰壁に鏝(こて)で模様を描いていたものを、絵具で彩色して室内鑑賞の芸術品に昇華させた。晩年、明治13年(1880年)、65歳で故郷を訪れ、岩科町役場や岩科小学校などで制作作業を行った。 明治22年(1889年)10月8日、深川八名川町(現江東区深川)自宅にて74歳で亡くなる。 |
鶴の間・入江長八が描いた鶴 |
甘味処「開化亭」の天井に鏝絵の龍「目の片方はわざと入れられていない」 |
岩科学校の庭内にある開化亭はもとは岩科商社として造り、後に岩科村役場として使用され、明治8年に建てられた由緒ある建物。移築復元され現在は休憩所として利用。玄関天井や旧西座敷の天井に描かれた漆喰鏝絵は入江長八の高弟佐藤甚三が制作したもの |
伊那下神社 |
所在 静岡県賀茂郡松崎町松崎28 電話番号 0558ー42ー2268 境内自由 | ||
松崎町を含めた西伊豆地域で宮司さんが常駐している神社は伊那下(いなしも)神社だけとなっている |
イチョウ(樹齢約1000年)県指定天然記念物 | |||