お湯の記録と評価 長野県
別所温泉 石 湯
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石湯の所在は、長野県上田市別所温泉1641−1 上田盆地の南西、塩田平の奥座敷・別所温泉は木曽義仲や北条義政らがこの地に別荘を構えたことから「別所」と称されるようになったと言われる。 また、北条氏の一族がこの地を治めたことから鎌倉の文化が広がり、古刹が多くあり「信州の鎌倉」とも呼ばれています。 温泉は日本武尊(やまとたけるのみこと)が発見したとも言われ、平安時代に書かれた清少納言の「枕草子・117段」に「湯はななくり(別所温泉)、有馬の湯、玉造の湯」と謳われている。*しかし、ななくり(七久里・七栗)の湯は三重県の榊原温泉であるとの説もある。 別所温泉の外湯のなかで一番最近に建て替えられた檜造りの建物。 浴室は一段掘り下げられたところにある岩風呂。湯船はそれほど大きくなく5、6人が浸かれるサイズ。こちらも残念ながら掛け流しでなく循環されています。 大河小説「真田太平記」には、別所の湯がしばしば登場する。 物語の中で重要な位置を占める向井佐平次が真田幸村と初めて逢うのも、その幸村が女忍者お江(こう)と結ばれるのも別所の岩の間から湧き出す温泉の白い湯気の中だった。 別所の湯、それは真田氏にとって大切な隠し湯。今も豊かに岩の間から湧き出す温泉、石湯。その前に建つ「真田幸村公隠しの湯」の石碑の文字は真田太平記の作者、池波正太郎の筆によるものです。 |
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